無期限について考える

あれから一か月が経ったのに、余震は納まる予感がしませんね。気をつけていきましょう。
今日降った雨もブラックレインでないことを祈ります。

さて、そんな中、あの海老蔵センセイが復帰を発表しましたそうな
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110410-00000301-oric-ent

「どさくさ紛れ」などと非難する人もいるようです。あと、水買い占めたって、ほんとうの話なんですかね?

ここでひっかかるのが「無期限」のもつ意味合い。

辞書的には「期限のないこと、期限を決めないこと」となるようです。なるほど、後者に照らせばつじつまがあいそうですね。期限を決めないのですから、極端な話、次の日に復帰してもいいわけです。

社会へ復帰する確率をほぼ断たれたイメージのある無期懲役から類推すれば、「無期限」そう簡単に復帰が許される物でもありません。多くの人の持つ無期限のイメージはこのあたりにあるのではないかと思います。

では実際「無期限」を使った人がどのくらいで帰ってきたかというと、1年以内が多いようですね。ま、人のうわさも何とやらとなり始める数か月たったころ、意味もなく「そろそろ・・・」みたいになってくるのでしょうか。無期限という言葉の重みはこんなことを重ねるたびにどんどん薄まっていってしまうわけです。なんでもかんでも「カリスマ」ってつけていた一時期のように、「無期限」が氾濫することになるでしょう。

「わたし、明日から無期限の休暇にはいります」


「おはようございます。無期限の休暇が明けました」

おいおい、単なる有給ぢゃねぇか。

「わたし、これから無期限の自宅待機いたします」

「おはようございます。無期限が解除になりました」

おいおい、単なる帰宅ぢゃねぇか。


というわけでみなさんもポップな無期限を満喫してみませんか。

というより、無期限なんかより、期限は定めるためにあると肝に銘じたいと思います。期限が定まることによりモチベーションが高まるそうです。たとえば「海老蔵3年間の活動休止」と聞いたら、何かただならぬ雰囲気を感じますし、2年くらいたったら、待望論も出てくるかもしれません。またはすっかり忘れ去られるかもしれません。真価の問われる3年間です。3年間のうちに何ができるか。復帰に向けたアクションプランも立てることになるでしょう。「復帰すべき理想の姿に近づいていません」なんて理由で1年間復帰を延期した日には、「そこまでせんでいいぞ」という世論になるか「あれ?引きこもりになっちゃった?」、はたまた「だれだったっけ?」なんていわれてしまうかもしれません。いよいよ真価が問われます。いばらの道です。でもそういう道を選べる人を尊敬します。

あんまりオチはありませんでしたが、無駄に長くなりました。ねます。