小学校のおもいで

本日トイザらスで、あたしにしては勢いよく買い物をしてしまいました。反省しています。

で、ほんだい。

最近、世界のナベアツのおかげで、小学校の算数の授業が壊滅的になっているという話を聞いたことがあります。いつの時代にも子供の心を掴むテレビ番組はあり、その熱は移ろいやすいものです。半年もすれば、すっかり別の影響力が小学生の心をつかんでいることでしょう。

我々の時代ももちろん例外ではなく、ふと、小学校の頃を思い出しました。そう、私が小学校一年生の時に先生から禁止されていた言葉がありました。それは、



「いいとも!」




今考えてみたら、なんともアホらしい。

今ではすっかりギネス級のマンネリ長寿番組だが、その当時はたしか番組も駆け出しで、「いいとも!」という言葉自体がちょっとした流行語になっていて、モノをお願いするとたいてい「いいとも!」で応えるというキャッチボールが目に付いたものです。
それを見かねた担任の先生(定年間近のおばさん)は、「いいとも!」禁止令という暴挙に出て、このNGワードを発すると叱られたのを覚えています。

思い出したついでに、この先生にまつわる悔しい話でも晒しておきましょうかね。話の前提として、この先生は優等生ひいき、女子ひいきです。逆を言うと、モタモタしていて、忘れ物の多い劣等性な男子のわたしは格好の標的だったということだったわけです。

そんな忘れ物の多い私ですが、小学校一年のある日の「かきかた」の授業前の休み時間、忘れずに教科書を持ってくることの出来たわたしは、普段なら授業直前に机の上に出すはずのその教科書を、さっさと机の上に置いてトイレへ行きました。多分、忘れずに持って来れたことが嬉しかったのでしょう。その教科書には母が作ってくれたカバーがついていました。

しかし、トイレから戻ってくると、机の上に教科書はありません。

休み時間も終わり、「かきかた」の授業が始まりました。教科書をさがす私の姿を見て近寄る担任、教科書を机の上に置いてから席を立ったと釈明するわたしに「教科書忘れの」レッテルを貼り付ける。

問答無用でした。

普段忘れ物の多いことも災いし、釈明にも聞く耳を持ってもらえず、その日私の忘れ物回数記録は更新されてしまいました。



後日、ひょんなことから「かきかた」の教科書は私のもとに帰ってきました。それは隣の女子からでした。母からつけてもらっていたはずのカバーは、なにやら違う紙の、あまり私の好きでない柄のカバーになっていました。


「○○さんは、カバーを取り替えてくれたんだよね」と隣でなにやら擁護する担任。小学校一年なうえに、ボケーっとしているわたしに、この状況を理解できるはずがありません。そのときは、わけのわからない複雑な気分でその教科書を受け取ったのを覚えています。

当時は状況を理解できませんが、そういう状況そのものの記憶はしっかり残っているものです。

いまなら推測できます。

  1. 隣の女子はその日、「かきかた」の教科書を忘れた
  2. 忘れ物王のわたしは持ってきている。
  3. その私が、教科書を机の上に置いて席を立った
  4. チャンスだと思い私の教科書をゲットした
  5. わたしが忘れ物をしたという流れに仕組んだ
  6. 後日、ちょっとまずいとおもって先生に相談した
  7. わたしが忘れ物をしたと決め付けた先生も気まずくなった
  8. 共謀し、カバーを取り替えてあげたということにして、穏便に片付けようとした


ゆるせん。

小学校一年生を煙に巻くとは、鬼畜だ、ならず者だ。このことを思い出すといまだにはらわたが煮えくり返る思いです。過去の記憶はたいてい美化されるものですが、この担任に関しては、悔しい思いのほうが多いのです。

ただ、この悔しい思いは、見返してやるというエネルギーにも変換されていました。つまりある意味、理不尽と感じるほどの悔しい経験というのは子供のうちに経験しておいた方がよいという思いも実はあって、なんとも複雑な気持ちになるのです。



結論。ウチの長男は、「ウ○チ」とか「オ○ラブー」とか、キタナイ言葉を連発して困る。まるで俺の子供の頃みたいだ。