あつい

  • 今日は暑かった。そんな季節にネクタイは酷だ。そんなヘコみかけているときに、朝礼にて飛び出した本部長の言葉が、「われわれ客と接する営業職はスーツにネクタイが基本、外出がないときだからといってネクタイがないのはおかしい」だ。朝っぱらからビックリ発言だ
  • そもそも仕事で何でネクタイ?これを考えて仕事でネクタイをしている人はいるか?上記のように「客と接するから」なんていう浅い考えではなく、もっと根本の問題だ。客に接するためになぜネクタイか?問題はそこだ。
  • 文明開化の世に西洋化の波の中で着物はスーツになり、ちょんまげは切り落とされ、、なんていう教科書的な答えにも飽きた。以下独断と偏見に満ちた勝手な推測。
  • 時はスーツ化以前、人々は思い思いの格好で仕事をしているが、やはりそのスタイルには個性が出る。良いほうに表現されていれば問題はないのだが、そうもいかないのが世の常。そんな苦悩を持っていたある人が仕事に着てきたのがスーツ。おお?それ良いじゃないっていうわけでみんなが着るようになってしまった。
  • いつしかそれが慣習になり、その理由すらわからなくなる。何でスーツなのか?「いままでそうだったから」。このような腐った思考から抜け出せなくなる、それをパラダイムと呼ぶらしい。理由もなく普段どおりに物事をこなすことは快適であるが、人間そのものの機能を低下させる。仕事でスーツ、これは日本の近代社会の腐敗の象徴。スーツは制服に近い感覚となる。制服は外見という側面から人々を平均化し、個性を潰す。
  • 要するに、本質は客に会うときは最低限汚くない格好をすればいいということだ。デスクワークをするときにネクタイがどれだけ邪魔で、会議をするときにネクタイがどれだけ思考を締め付けているか、夏の盛りにネクタイがどれだけ光熱費と社員の健康を圧迫しているか。もう少しはかりにかけて効率を考えるべきである。ただ、ホリエモンのあれはチョット極端かな?