先ず隗より始めよ

高校の時の漢文の授業の時に、↑こんな故事成語を習いました。授業中の95%を睡眠に費やしていた私がなんでこれを覚えているかって?

モノのたとえがおかしいからです。

概略を言うと、
郭隗という人がある国の王様に「良い馬を手に入れたかった主人の家来が死んだ馬の骨を高額で買ったそうです。主人は怒りましたが、その噂は広まり、生きた馬ならもっと高く買ってくれるだろうということでいい馬が集まったそうです。というわけで、王様、まず私みたいな死んだ馬の骨的な凡人を厚遇してください。そうすれば、それを聞きつけた賢者が集まってくることでしょう。」
王様は郭隗の言うとおりに彼を厚遇すると、言うとおりに賢者が集まってきて、めでたしめでたし。という話。

「先ず隗より始めよ」とは目の前にいる私を厚遇してみてはどうですかね?という売り込みの文句。
転じて、「手近なところからやってみては?」という意味になったようです。

ところで、この馬の骨のたとえ話もおかしいですが、戦乱の世にもしも、アホを家臣に雇ったら、賢者は多分、愛想を尽かすか、攻め込むチャンスと思うのではないでしょうかね。それ以前に賢者たるもの、そんな待遇よりも別のものを見ているはずと思いたいものです。

あんなアホでもできるんだから俺でも出来るできるできる〜って寄ってくるのは、アホ以外の何者でもないだろう。

アホがアホを呼ぶ。結局のところ、類は友を呼ぶ状態。現実社会に照らし合わせるとこんなかんじ↓

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/176863/

アイツがなれるんだから、俺も私も出来るできるとニョキニョキ手を上げるあの人この人。さて、この人たちが賢者かどうか?

この故事成語のオチは結局一番の賢者は郭隗本人だったというところにあると思います。名言を数千年の後世に残すことが出来る人が、世の中に何人いるでしょうか。
たぶん寄ってきた賢者も郭隗の言うような趣旨で集まったのではないと思います。

結局この言葉はさらに転じて「ウソも方便」ってところが落としどころじゃないでしょうか。

最後にもう一度。ある国がアホを家臣として厚遇したら、その国王に自分を売り込みに行きますか?ある会社が、アホを経営参謀に雇ったら、その会社に自分を売り込みに行きますか?
賢者の皆様の意見を聞きたいです。ブルジョワも可(笑)。