かようび

義姉と姪っ子は新潟へ帰っていった。にぎやかだった一週間はあっという間に過ぎ去り、普段と変わらない日常に戻ったはずだが、なんだか物静かに感じる。秋の風はそんな物寂しさをも運んでくるものである。なんともアリスの曲が身にしみる季節である。そんな季節の変わり目、街の施設は空調の設定に苦労する季節でもある。外の空気はさわやかなはずなのになんだか建物の中や電車の中は空気がこもってなんだか暑い。というわけで話題をいくつか。

番組改編

秋といえば番組改編。年に数回番組は改編されるわけであるが、この季節は憂鬱なことがひとつある。新しいドラマが始まるからである。結婚してからドラマを見るようになった。ウチには当然ながらテレビがひとつしかないからである。一人が観たいと言うものに対して特に裏番組に対抗するものが無ければ当然ぞの番組にチャンネルが合わされるわけである。なにぶん狭い家なのでテレビが着いていればいやおうなしにそこに注意はひかれるわけである。要するに何が言いたいかというと、あのテレビドラマというものは一回目をうっかり見てしまうと見続けてしまう、ということである。基本的に「○曜日の○時は○チャンネル」とドラマに振り回される人生はイヤであるという建前がある。そして、見逃したときにチョット悔しくなる自分が嫌いだったりする。どっちにころんでもテレビドラマは精神衛生上良しとは思わない。でも、たぶん見てしまうんだろうな。。

指差し

ウチの息子は指をさすようになった。なにかの要求があるときはその対象となるものに指をさすわけである。漠然と遠くのものを指差すことも少なくない。そんな時は息子を抱えながらその指差す場所へ進んでいくわけである。ふと思う、コレはダウジングか?それともココ掘れワンワンか?

可決

郵政民営化の法案が可決されたそうな。今回のヤケクソから行われた解散から与党はこの法案にスポットを当てて選挙活動を展開しただけあって結果の出たものになったのではと思う。ま、そんなことはどうでも良い。問題はその賛成票と反対票を投じるにいたったプロセスである。反対票を投じて選挙前に「公認得るために」賛成に寝返った候補者はお話にならない。問題は反対を押し切って公認を得ず当選した代議士である。今回の採決では二手に分かれたらしいが、賛成票を投じる人にはどんな気持ちがあるのだろうか。今回の選挙の結果を民意として捉えた。という表現はどうも美辞麗句に聞こえてならない。となると、反対したときの本人の信念とやらは一体どこに行ってしまったのか。また、おそらく反対という公約を掲げて選挙に臨んだであろうはずなのにその約束とそれに投票した人の気持ちをどう解釈するのか。さてそもそも民意とはどこまでを民意と捉えるのか(広義)。トータルの選挙結果が民意なのか。それとも票を投じてくれたひとの意思が民意なのか(狭義)。あたしゃ政治学にゃうといが、おそらく民意とは後者であるべきである。そもそも代議士とはその字から、代わりに議するヒトというふうに解釈するのが普通で、代わりを選ぶのは投票である。つまり、民意は票によって反映される。反映するのはだれか。その票によって当選した人である。このように考えると、選挙の結果を民意として捉えるという言い分は「詭弁」ということになる。参議院は解散していないので、今回の衆議院選挙を民意として捉えるのはひとつの言い分になろうかと思うが、この郵政のために解散した参議院についてはその理屈は通用しない。郵政に反対で当選した人がいざ採決で反対に回る。おかしな話である。でも、ああ、この人も人間なんだなとも思うわけであるが。。。